東日本大震災

2011年3月11日14時46分三陸沖にモーメント・マグニチュード(m Mw)9.0という震災を受け、東日本全域へ及んだ多大なる大災害を引き起こしました。


そして現在もなお、被災地における津波による死亡者,行方不明者の増大,福島県では原発問題,それに伴い風評被害の拡大、本当に様々な問題が続いているなか、様々な場所で協力し合い誰かの助けを願っています。


また、ここでは書き切れないほどの目を背け耳を塞ぎたくなる様な現状,実態。


3月20日現在、宮城県気仙沼では、津波被害区域の近くで殺人、強盗、死体から金を取るなどが毎日の様に起こっている現状。 仕事場で地震に合い早めに上がった事で助かったひと。 避難中、渋滞していて車を置き走って逃げ 助かった人。 職場が心配で避難しつつも戻り、津波を目の前まで来てたが、高い所にいき助かった人。 などギリギリで助かった人が数多くいました。 反面、ギリギリで津波に飲まれた人も多かったのです。 助かった人の多くは町が津波に飲まれていく様、町が燃えていく様を目撃していたそうです。 しかし、多くのひとが支え合い強く生きていました。


自分も、ここ地元福島県郡山市で被災し、ライフラインも取り戻してきた中、友人3名を失いまた現状問題を受け止め今もなお自分自身協力し合い出来る限りの事をする思いで、物資供給を少しでも必要としてる場所へ必要な物を届けられるよう勤めています。


周囲の皆様,知人,友人,関東を初め自身の以前からの活動の中での知人,ライブハウス,お店,関係者の皆様の本当に大きな助けを頂き、少しずつでも現状が良くなっていくことを強く願っています。


そしてまた、当ブログにて自身のルートにて義援して頂いております多くの同志や皆様へ活動詳細、報告等、その際に入手した避難所での必要物資情報を開示し知らせていきます。


また、避難所での必要物資等の情報、活動出来る方もおりましたら是非ともお知らせ下さい。


何故、個人での活動のため全域には周る事が出来ず避難所での情報等が偏ると思われますが、一番苦しいと思われる場所へ必要な物資を届けられる事ができますよう心から強く願っております。


東北は絶対に負けません。


皆様の助けを心から願っています、どんな事でも構いません。強く願っております。

2011年7月3日日曜日

7/2義援物資供給状況詳細

7/2(土)ここしばらく物資を届けておりました、200人を超える津波による住居を失われた方達のみの避難所となっていました、いわき平工業高校体育館の方は先月末に避難者全員が仮設住宅へ移住完了したとの事で、避難所は完全閉鎖になったと関係者からの連絡が来まして少し気持ちがホッとした思いもありますが、今回はまた新しく活動を始めている場所への物資提供を始める事にしました。
こちらもダイレクトに被災者の方へ物資が届くシステムになっております。

様々な場所での仮設移住が行われていく中、移住した方たちにはまた新しい問題や不安も出て来ています。
生活を保障されていた避難所生活から、今度は家を持つ事でイチから生活を築かなければいけない為、食料の確保の問題や、お金の問題、就職、修業、人間関係、様々ありますが今回の新しく始まる活動とは、その生活に必要な食料、生活物資、オムツや哺乳瓶から家具まで一定の場所から一挙に避難者、仮設住宅住居者へ配布する形での活動となります。

そして今回その集荷場所の一つとなっています、いわき四倉海岸沿いの道の駅にて物資の集荷活動が行われていますので、そちらへ東京からの関係者様達から送って頂いた女性物生理用品関係、食料関係、また郡山cafe quubさんから陶器の食器類等、計ダンボール8梱包を届けられました。

こちらの四倉海岸では、津波による死者、被害が大きかった箇所で未だ残骸は多くあるものの、復興の活動が盛んに行われておりますので重点的に活動参加して行きたいと思います。

現在必要な必要な物に関しましては、先日の報告とと変わらずの物が数に制限無く必要になっております。

そしてこの様な活動場所が他にも幾つか出来始めてきてますので、他にあたる場所での必要な物を調べ上げて行きたいと思います。




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